天才ニートくんの人生回顧録

W大学卒業後、ブラック企業退職を経て、借金200万の限界ニートです

第5話 ゲーム禁止の反動による悪行

当時小学4年生のニートくんは、中学受験塾「日能研」の門をたたき、初めてのテストで


大きな挫折を味わったのであるが、その後もなかなか思うように成績が上がらず、


15人弱のクラスの中で10位~15位の間を彷徨っていた。


学業において、そのクラスの中で下位に甘んじる劣等感。その悔しさをバネに頑張って


いるつもりでも、なかなか伸びていかない成績。そんな中、ニートくんはとある悪行を


働いてしまう。




当時、私が小学4年生の時に流行っていたゲームはゲームボーイアドバンスのポケモン、


ルビー・サファイアであった。書き漏らしてしまったが、ニートくんの家庭にはゲーム機


は置いておらず、ゲームができるのは週末に祖父母の家に行ったときのみであった。


友人たちは当然のように自宅にゲーム機があったこと、ニートくんはゲームを平日は禁止


されていたこともあり、自宅でゲームをしたいというニートくんの欲求は凄まじいもので


あった。


そこで、私はある日、母親が貯めている500円玉貯金箱の中から、5000円ほどを泥棒して


近くのカメレオンクラブという中古ゲームショップにてゲームボーイアドバンスSPを


購入してしまう。




家でこっそりゲームができる脳汁と、悪行を働いた後ろめたさがぶつかって最初こそ


前者の脳汁が勝るのだが、次第に後者の後ろめたさのほうが勝るようになる。


そもそも、6人家族で100平米なかった当時住んでいたマンションでは、小学4年生が


母親にバレないようにゲームすることはほぼ不可能で、できたとしても寝るときに布団に


隠れて30分程度プレイするくらい。それではゲームも進まないし楽しくもない。




結局1か月ほどして私の悪行は母親にばれ、往復ビンタ&玄関まで引きづられてニートくん


は外に追い出された。過去一で怒られたのではないだろうか。


しかし、どことなく安心した自分もいた。その1か月間は、逃げ回る指名手配犯のような


思いをしていたからだ。母親に許しを受けたあとは、清々しい気持ちになったことを


覚えている。




ゲーム禁止の家庭はチラホラ聞いたことはありますが、皆さんはどう思いますか?


小学生の時からある程度自制心をもってプレイすることを学ばせるためにも禁止に


しなくてもいい気がするし、私のような依存体質には強制的に禁止するのも一理はある


とも思う。(結局その後のニートくんはギャンブルに依存してしまうので。)




今回は中学受験塾の内容から少し離れ、ニートくんの日常回(悪行Ver)であったが、


また次回は中学受験塾編に戻って綴っていきたいと思う。


以上

第4話 ニートくん、初めての挫折

中学受験塾、日能研に小学4年生で入塾したニートくん。入塾テストの結果、母親の


英才教育の甲斐あってか、最初のクラスは4つのうち1番上の「R」クラスであった。


初回の授業での記憶は今でもうっすらと記憶の片隅に残っている。


初回の授業は、1コマ目理科、2コマ目算数であった。1コマは70分。


理科はおそらく植物の分類か、昆虫の体のつくりといった内容であった気がする。


算数は最初は数の性質といった、小学校ではまだ到底触れないような大きな数同士の


四則混合計算、逆算といった内容であっただろうと思う。


クラスの雰囲気は入塾初日ということもありアウェイという感じ。というのも、


中学受験塾には小学3年生から入塾しているさらに意識の高い連中がいるのだ。


人数のイメージとしては、小学3年生クラスは学力関係なく金曜クラスと土曜クラスに


分かれていて、それぞれ1クラス15人程度。学年30人程度であろうか。


一方、4年生からは新規の入塾者が増え、前述した通り私が4年生の時には4クラスで


あった。こちらは1クラス平均20人程度。学年80人程度のため、4年生からはおおよそ


新しく50人程度が入塾したというイメージである。


それであれば、新しく塾に入る子のほうが多いし、アウェイ感はあまりないのでは?


と思うかもしれないが、3年生から塾に入る意識の高い連中は頭のいい子の割合がそこそこ


高いのと、やはり小学生ながら1年先に入塾しているということは大きいため、


「R」クラスは3分の2程度が3年生から塾に入っている連中ばかりであった。


そんなクラスに新参者として飛び込んだ小学4年生のニートくん。


小学校ではどの授業でも積極的に手を挙げて答える姿勢、また、SAPIXの通信教育を


受けていたこともあり、意外にも算数の授業では小学3年生から入塾している連中と


授業中の挙手回答バトルにおいて善戦する。


その日、授業が終わって帰宅する際、すでに出来上がっている仲良しやんちゃグループの


3人組に絡まれた。


そのうちの1人には「お前生意気だな」的なニュアンスで暴言を吐かれ、そのコバンザメ


のような子には「キミ、今日から入ってきたのにすごいね!」との言葉をかけてもらった。


上背はあったのと、気は弱くなかったため、暴言を吐かれた程度で委縮することはなく、


むしろもう一人の子に持ち上げてもらったせいか、とても気分が良くなっていた。


そしてニートくんは思った。中学受験塾も大したことないなと。


別の曜日に国語と社会の授業を受け、さらに翌週も国算社理の授業を2日にわたって受けた


のち、ニートくんは入塾後初めてのテストを受けることになる。


小学4年生は2週間ごとにその期間で学んだ範囲に関して4科目のテストを土曜日に受ける。


授業中に内容を理解して、その練習問題を解いて挙手して答えることもできていたし、


家で解く用の塾オリジナルの問題集も該当する範囲は解いて丸付け、間違いなおしはした。


おそらく試験も大丈夫であろう。とニートくんは考えていた。


日能研という塾は、おそらく今でもそうであると思うが、最新の試験の成績順で次の試験


までの座席が決定する。イメージとしては、4教科の総合得点が高い順に、(〇は空席)



〇 3 1 2 4 〇


9 7 5 6 8 10


15 13 11 12 14 16
     ・
     ・
     ・


というような席順となっている。小学4年生から明らかに成績の優劣を意識させ、競わせる


構図となっているのだ。小学4年生は2週間ごとに試験と説明した通り、その間はこの席に


座ることになる。前回の成績が良かった時には優越感を覚えるが、その逆の時がきつい。


他の習い事と被る等、所用により土曜日に授業を受けることができなかった者は、強制的に


最下位の席に座ることになるのであるが、(大抵は日曜日等に試験は受けている。)


試験を受けれなかった者が複数いる場合には、最下位から複数番目までが試験未受験の子が


座るため、周りもそのように認知する。


ここまでですでにお分かりであろうか。どこまでが未受験で誰が土曜日に受けて純粋に


最下位なのかを探し始め出す残酷な者が小学4年生、小学5年生くらいまではいるのだ。


さらにお分かりいただけているかもしれないが、そう、最初の試験で私はクラスで最下位


であった。もちろんそれは私の次の順位の子が土曜日に未受験であったためである。


授業中にそれなりに理解して、それなりに練習問題が解けても、試験ではスコアを残せない


のだ。その理解をいつでも引き出し、応用問題を解けることができるように反復して


問題集も解く必要があり、試験前には社会や理科は当然のように暗記するフェーズを設け


なければならないのだ。


ニートくん、人生初の挫折である。中学受験塾も大したことないな、と有頂天になっていた


ニートくんの高い鼻はそこで挫かれたことを今でもよく覚えている。


小学4年生で挫折を味わったニートくんがどのように成長していくのか、またはさらに挫折


するのかについてまた次回以降詳しく書いていきたいと思う。


以上

第3話 ニートくんが中学受験塾の門をたたくまで...

私の母は、しつけが厳しいことに加えて、教育熱心でもあった。(必然か?)


いわゆる教育ママというものである。




私の4兄弟は、全員中学受験をし、上から順に、慶応義塾普通部、早稲田中学(私)、


早稲田中学、地元の公立中学といった風に、おそらくそれなりに信頼のおける母の


教育メソッドで、高確率で早慶に母が入れてくれたのではないかと考えている。




四男だけ少し受験に失敗してしまって、地元の公立中学に通わざるを得なくなってしまった


点については、兄たちのプレッシャー等もあっただろうし、一概には言えないので


あくまでもポジティブな意味で統計学で言う「外れ値」として考えるものとする。


(四男まで早慶に入れて初めて自慢しろよ!という批判、甘んじて受け付けます...)




どのような教育方針であったかを軽く説明すると、小学1~2年生くらいまでは、母が


隣で付きっきりで小学校の宿題を見る。漢字ドリルを例にとると、新漢字が出てきた際に


2回なぞり書き、2回フリーライトという形式であったと記憶しているが、


なぞり書きで文字のガイドラインから逸れると隣から30cmのプラスチック定規で手の甲に


はたき落とし攻撃が繰り出される。


あの30cmプラスチック定規、本当になかなか小学校でも見ない。(大体20cm竹製定規とか)


完全に子供をひったたく用に設計されているとしか思えない。


また、算数では小学校の宿題に加え、小学2年時には母自作の100マス計算にも取り組んだ。


目標は足し算掛け算どちらも2分切り。もしかすると2分切れない大人もいるかもしれない


レベルで、かなり計算力はそこで鍛えられた。




上述したように厳しく、また独自の100マス計算シートで宿題を2年生ごろまで見てもらう


のだが、小学校の宿題とは並行して小学1~3年生まで中学受験塾SAPIX監修の


「ピグマリオン」という月刊通信教育誌にも取り組んでいた。(今もまだあるのかな?)


ピグマリオンは、毎月送られてくる月刊誌だが、40ページくらいのため、毎日2ページ


やると、後ろ10日間は一応休めるのである。だが、少しさぼってしまってまだ当月号が


残っているのにもかかわらず、月末付近に次月号が送られてきたときに感じた絶望感は


26歳になった今でも容易に思い出すことができる。




小学校の宿題に加え、100マス計算、ピグマリオンまでこなしていると、小学校のクラス


ではある意味必然的に成績が1位となる。


その上で小学4年生の4月から中学受験塾に入塾するのである。





私が入った塾は日能研。テレビでcmをしない代わりに子供たちに背負わせるバッグで


宣伝を行う大手中学受験塾です。


余談ではあるが、入塾テストを受けに行く前まで柿ピーをリポビタンDのつまみに


食べながらスーパー正男くんをPCでプレイしていたせいで、試験とその後の塾長


との面談で緊張も相まってゲロ吐きそうになっていたのを子供ながらに覚えている。




今回は中学受験の必勝メソッドのような話になってしまったが、ご了承願いたい。


次回は中学受験塾の門をたたいた後のニートくんについて書いていこう。


以上