天才ニートくんの人生回顧録

W大学卒業後、ブラック企業退職を経て、借金200万の限界ニートです

第8話 当時のスケジュールと学び

地獄の夏期講習を乗り越えたニートくん。算数を特に重点的に伸ばしたこともあり、


夏期講習明けの試験では、算数の偏差値72をたたき出した。


この時点で、ニートくんのスタイルは算数と理科で得点を稼ぎ、国語と社会で粘るという


風に確立される。そして、この小学5年生の秋ごろから、自分の志望校というものを


意識し始めた。




4歳年上の兄が慶應義塾普通部に通っていたこと、そして算数が難しく、算数が得意である


と国語が多少苦手でも合格しやすいという点から、ニートくんは早稲田中学を第一希望校


として意識するようになる。




その後の試験でも、一番上のクラスで中位をキープしていたこともあり、6年生に上がった


時の日能研番号は60084。(5年生の年間成績がその校舎で8位)


この番号は4年生、5年生の時もあったが、順に40912、50358であった。4年生から入塾


したため、40912という番号に特に意味はなかったが、50358ということは4年生の通年の


成績が35位ということで、今思えばクラス落ちしても当然である。




6年生に上がったニートくんのスケジュールはこんな感じ。説明しやすさの都合上、


火曜スタートとする。




火曜:小学校から帰宅後、宿題を済ませて17:00からの塾に合わせて家を出る。
   17:00から3コマ(70×3)受け、21:10に授業終了。帰宅してご飯を済ませると22:00。
   そこから当日の授業の復習、取り扱わなかった問題に取り組む。0時ごろ就寝。


水曜、木曜:火曜と同じ。


金曜:塾がないため、前週土曜、今週火曜~木曜で学んだことの復習。試験勉強。
   0時ごろまで勉強することもあるが、塾がないので心は少し安らぐ。


土曜:朝9時には起きて、日曜に行われる試験勉強の続きをする。
   13:00からの塾に合わせて家を出る。13:00から4コマ(70×4)受け、19時に授業終了。
   帰宅して夕食後、明日の試験に向けて最終チェックを行う。
   そこまで遅くは勉強しない。


日曜:朝8時20分からの塾に合わせて家を出る。6年生の前期は午前中授業、午後テスト
   であったのに対し、後期はその逆となる。17時ごろまで授業(テスト)を受けて帰宅。
   帰宅後、19時ごろからテストの間違い直しを22時ごろまでして束の間のフリー
   タイム。


月曜:塾がないため、日曜の授業の解き直し等に時間を充てる。




スケジュールはざっとこんな感じ。自分で記憶を呼び起こしながら書いたが、よくやって


いたなと思う。この時の頑張りのおかげで早稲田大学卒業という肩書を手に入れることが


できた。(無論、中学高校の時の勉強もあるが)


そしてこうも思う。逆に言えば、人間このくらい必死こいて何かに取り組まないとそれ相応


のスキル・肩書は得られないのだと。今の自分のようになんとなく自分にしかできることが


ないかふらふらと考えているのではなく、最終的にお金を稼ぐ術になるかは置いておいて、


小学校時代のニートくんのように一つのものに1週間丸々必死に打ち込まないといけない


のだと。例えばそれが、プログラミングの勉強だったり、何か資格の勉強であったり。




この回の記事を書いていて、何かに向けて全力で取り組むことの必要性、そして中学受験


も然り、短期間ではどんなスキルも簡単には身に付くものではないことを思い出した。




第8話にして一つ自分を見つめ直すことができたので、このブログを書いた甲斐があった。


もちろんまだまだ書きたいことはあるので、今後も更新を続けていくが、今回はこれで


一旦締めようと思う。次こそは中学受験の最後まで書けるように努める。




以上

第7話 地獄の夏期講習

クラス落ちして、次のクラス替えで上のクラスに舞い戻ったニートくん。


この時期から、4教科の中でニートくんの武器は算数となっていた。上のクラスに戻って


からも、相変わらず授業の進む速度と、周りの生徒の理解力のレベルは高く感じたが、


以前ほど自分が周りに比べて引けを取っていないように感じた。




上のクラスに戻って授業、テストを受ける日々を送っている中で、成績は以前ほど


下位ばかりではなく、中位も取ることができるようになっていた。


そんな中、小学5年生のニートくんは夏休みに突入する。夏休みといえば、もちろん塾は


夏期講習だ。4年生の時も夏期講習は無論あったのだが、小学生の夏休み40日間くらいの


うち、4年生が塾に通うのは2週間程度。そこまで大したことはない。(大したことある)


しかし、5年生になるとその倍近くの30日間ほど通うこととなる。


前の記事でも書いた通り、もう小学校の友達と夏休みに遊ぶこともなく、夏休みの学校の


プールなども行くことはなくなる。プールは嫌いだったのでそれはまあいいが。




情けない話かもしれないが、小学5年生と小学6年生の夏休みは人生で最も死ぬほど勉強


をした。高3の夏休みではないのが少し恥ずかしい話ではある。


夏休みには、夏期講習用にタウンページくらい分厚いテキストが塾から配布され、


それを毎日カバンに入れて背負って塾に行く。主に取り入れていた勉強法を次に書く。


授業中に取り扱った問題で、間違えた問題の解き直しはもちろんのこと、取り扱わなかった


問題もすべて解く。付録の計算と漢字は膨大な量で、毎日コツコツやらないと終わらない。


他の生徒がどの程度妥協してタウンページ並みのテキストに取り組んでいたかはわからない


が、ほとんど全ての問題を解いていた生徒はどれほどいるだろうか。


そして、それだけでは終わらず、上半期に使用した算数のテキストの全範囲から当時


中学3年生の兄がセレクトした膨大な量の問題にも取り組んでいた。




夏休みの勉強時間は一日平均10時間程度で、それを夏休み最終日まで続けた。


夏休みが終わり、小学校が始まるのを嬉しがっていた小学生は全国探しても一握りだったの


ではないだろうか。


夏休みの猛特訓で、ニートくんは5年生の後半にはクラスで中位をキープできるように


なっていた。上位層はやはり怪物が居座っており、毎回1位と2位の子はほぼ固定席であった


ため、中位キープだけでもかなりの健闘であったといえよう。(その子たちは当然のように


筑駒と開成に合格していた。バケモン)




ちなみに、もはや大したことではないが、以前私がクラス落ちをした際に、それを小学校で


言いふらして私を辱めたS君は確かその時期にはもう下のクラスに落ちてしまっていて、


そのクラスでも中位くらいまで落ちてしまっていた記憶がある。


無論、ニートくんはそんなS君のことを小学校で辱めることはしなかったし、S君がいる


時には塾の話にはならないように気を付けていた。それでも、何かのはずみで周りの子が


「今ってニートくんとS君どっちがクラス上なの~?」と聞いてきた子がいたことがあった


が、その時にS君が死ぬほどバツの悪そうな態度で言葉を濁していたのを見て、この上なく


スカッとした記憶がある。




今回は地獄の夏期講習について記事を書いた。次回は少しハイペースで中学受験本番まで


書ききれたらと思う。




以上

第6話 初のクラス落ち

塾のクラスで自分よりも頭のいい連中に囲まれ、劣等感を感じていたニートくん。


成績もすぐには伸びず、試験では毎回下位20%程度を彷徨っていた。


日能研は、2~3か月に一度クラス替えがあるのだが、入塾してからちょうど1年経ち、


新5年生になったニートくんは、塾のフリースペースに張り出されたクラス発表の紙を


見て、ひどく落ち込むこととなる。


1年経ち、新5年生となったタイミングで上から2番目のクラスに落ちてしまったのだ。


成績の低迷もあり、遅かれ早かれ覚悟はしていたが、とうとう来たかと。


また8割方知らない子たちの中に入れられ、最初のうちはアウェイ感を感じなければ


いけないこともあり、不安でいっぱいだったニートくん。




一方、同じ小学校で、日能研に通っていたS君は私とちょうど入れ替わりで上のクラスに


上がることとなっていた。


翌日小学校でS君に「こいつ塾で俺より下のクラスなんだぜ!」と言いふらされた。


私は塾のクラスの上下を小学校の子たちに話すことは、連中にとっても興味がない


だろうし、下の方は嫌な気持ちになるだろうと考えていたため、S君が下のクラスの


時には小学校の子たちには塾のクラス事情なんて野暮な話はしないという配慮をしていた。


しかし、S君はクラスが逆転した途端、言いふらし始めたのだ。


小学5年生のニートくんは決意した。また元の上のクラスに戻って必ずこいつを〇すと。


もちろん成績的な意味で。




1番上のクラスから2番目のクラスに落ち、新クラスで授業、テストを受ける日々が


スタートした。そこで感じたのは先生たちの教え方が1番上のクラスを受け持つ先生たち


よりも分かりやすかったことだ。


もちろん、授業中に扱う問題の難易度は上のクラスよりも劣るのであるが、一つ一つの


問題を丁寧にかみ砕いて教えてくれる。なるほど、私はまだ一番上のクラスの子たちほど


授業中の理解度も高くないし、無理して授業に付いていっているだけだったのだ。


テストを受けても、1番上のクラスだった時にはほぼいつもケツから数えたほうが早かった


のに対し、上から2番目のクラスではほとんど毎回1位か悪くて2位だった。


それにより、自分に失われていた自信も良い意味で取り戻すことができた。


自信を取り戻すと同時に、あまり振るわなかった試験でも1位か2位であったため、今度は


この環境に居続けるのも良くないと捉え、危機感を感じるようになり、今まで以上に


一生懸命勉強に励むようになった。


具体的には、算数のテキストでいうと、基礎問題、基本問題、応用問題とあるうち、


基本問題までを毎週すべて解けるようにする。(応用問題は1番上のクラスでも簡単には


解けないため)


同等の努力を他教科においても実践したことで、次回のクラス替えでは晴れて一番上の


クラスに返り咲くことができた。この辺りから、中学受験が終わる小学6年生2月まで


一度も小学校の同級生とは放課後遊ぶことはなくなっていた。そのくらい本気になって


いた。




小学5年生の最初に一度クラス落ちしたことは、中学受験を振り返ったうえで、非常に


重要な経験だったと思う。今まで漠然とハイレベルな授業についていき、ついていけている


のかもわからないまま試験を受け、結果が出ず、もがいていたニートくん。


そんな自分に何が足りないのかを客観的に見つめ直すことができ、また、自信を取り戻す


と共にこのままぬるま湯に浸かってはいけないという危機感も感じることができた。




2軍でのリハビリ生活を終えて(言い方不適切だったらごめんなさい)、1軍のクラスに


舞い戻ったニートくん小学5年生。次回は、その後の受験生活についてまた書き綴っていく


ことにする。




以上